マルコ13:14-31「歴史の転換点」

 

先週から私たちはマルコの13章に入っています。先週は1-13節をともに読み、この13章は第一義的にはエルサレム神殿の崩壊について語っていることを確認しました。そしてそこから、終わりの時代にあって私たちはどのように生きるのか、終わりを意識して生きること、周りの声に惑わされないこと、そして苦難の中にあっても最後まで耐え忍ぶことを学びました。

 

具体的な忠告

今日はその続きで、比較的長い箇所を読みましたが、一読して思うのは、今日の箇所では非常に具体的なことが書かれているということです。「ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい」、「屋上にいる人は、家から何かを持ち出そうと、下に降りたり、中に入ったりしてはいけません」、「畑にいる人は、上着を取りに戻ったりしてはいけません」、「このことが冬に起こらないように祈りなさい」。非常に具体的な指示、忠告がなされています。こういった忠告は、明らかに神殿の崩壊を想定したものです。14節には「『荒らす忌まわしいもの』が、立ってはならない所に立っているのを見たら—読者はよく理解せよ」と、少し謎めいたことが書かれていますが、当時のユダヤ人はこれをよく理解することができました。「荒らす忌まわしいもの」、これは旧約聖書のダニエル書に出てくる表現で、ある歴史的な出来事を指しています。細かい話は省略しますが、簡単に言えば、紀元前2世紀中頃、当時ユダヤを支配していたセレウコス朝シリアという帝国が、ユダヤ人への締め付けを厳しくするために、エルサレムの神殿に異教の神ゼウスの像を置いて、エルサレム神殿をゼウスの神殿にしたという出来事がありました。自分たちが信じる唯一絶対の神さまの神殿が、異教の神の神殿にされてしまった。この出来事がきっかけとなり、当時のユダヤ人は反乱を起こして、最終的には自治権を獲得するに至りました。

当時のユダヤ人は、そのような過去の出来事をよく知っていました。ですからイエスさまはここで「荒らす忌まわしいもの」という表現を使うことによって、あの時と同じようなことがやがて起こるだろうと予告されたのです。異国の軍隊がやってきて、神殿を荒らし、異教の神を拝むよう強制してくる時代がやって来る。そうなったら、武力をもって反撃するのではなく、逃げなさい。イエスさまはそう忠告されたのです。なぜか。それが神さまの裁きだからです。旧約のあのバビロン捕囚がそうだったように、神さまは今度も異国の軍隊を用いて、堕落し、「強盗の巣」に成り下がった神殿を裁きにやってこられる。だからあなたたちはすぐに逃げなさい。それが、ここに書いてある具体的な忠告の意味です。

 

決定的な出来事

そして21-23節でイエスさまは先週の箇所の続き再び、偽キリストたち、偽預言者たちに惑わされてはいけないと忠告した後、24-27節で決定的な出来事を予告します。「しかしその日、これらの苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます。そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。」これはイエスさまの再臨を指していると考えられることの多い箇所です。それは間違いではありません。しかし、先週も確認したように、このマルコ13章に書かれているのは、「この神殿はいつ崩壊するのですか」という弟子たちの質問に対するイエスさまの答えです。ですからこの24-27節も、まずはこの13章の文脈の中で意味を捉える必要があります。

そこで重要なのが、この箇所の背後にある旧約聖書の預言を理解することです。まず24節では、「太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます」と、宇宙規模の大変動が起こるとあります。これは主に旧約聖書のイザヤ書から来ている表現です。イザヤ書ではバビロンなどの当時の大国に対する神さまの裁きを語る文脈で、こういった宇宙規模の大変動が起こると語られています。例えば、お読みしますが、イザヤ書13章は1節で「バビロンについての宣告」と言った後、10-11節前半でこう語ります。「天の星、天のオリオン座はその光を放たず、太陽は日の出から暗く、月もその光を放たない。わたしは、世界をその悪のゆえに罰し、悪しき者をその咎のゆえに罰する」。これはどういうことか。聖書の中でバビロンは悪の力の象徴として何度も出てきます。バビロンが世界を支配している、それはすなわち悪の力がこの地上を支配しているということの現れでした。この地上は悪に支配されている!しかし、神さまはやがて必ずバビロンに、悪の力に打ち勝ち、神さまの支配、神の国をこの地上にもたらしてくださる。悪に支配されていた世界がひっくり返るのです。宇宙規模の大変動が起こる。それがイザヤの預言です。

ではそれはいつ成就するのか。最終的な成就はイエスさまが再臨される時です。しかし、すでに起こったある出来事によって、神さまの勝利は決定づけられました。悪の支配は打ち破られ、神の国がこの地上にもたらされました。何によってか。イエスさまの十字架です。イエスさまの十字架の記事を思い出してください。イエスさまが十字架の上で息絶える時、何が起こったか。お昼の12時から午後3時まで、闇が全地を覆ったとあります。「太陽は暗くなり、月は光を放たなくなる」、悪の支配が打ち破られ、神の支配がもたらされるという、宇宙規模の大変動が起きたのです。そして続いて、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたとある。これは、「強盗の巣」、現代のバビロンに成り下がっていた、悪の支配の中枢となっていた神殿が神さまの裁きを受けたということです。イエスさまの十字架によって、堕落した神殿に象徴される悪の支配が打ち破られた!神さまの支配が、神の国がこの地上にもたらされた!私たちは、このマルコ1324-25節に書かれている宇宙規模の大変動が、イエスさまの十字架によって実現したことを知っているのです。

 

ダニエル書の預言

では26節ではどうでしょうか。「そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます」。これも、イエスさまの再臨を指していると理解されることの多い箇所です。何度も言うように、それは間違いではありません。しかし、この箇所にはもっと深く豊かな意味があります。先ほどと同じく、大事なのは旧約の背景です。今回はともに開きましょう。ダニエル書713節です(旧1522)。「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲とともに来られた」。一見して分かるように、マルコ1326節の背景にはこのダニエル書の預言があります。では、「天の雲とともに来られた」とありますが、どこに「来られた」のでしょうか。13節の後半「その方は、『年を経た方』のもとに進み、その前に導かれた」。「人の子のような方」は「年を経た方」のもとに「来た」とある。ではここで言う「年を経た方」とは誰か。これは明らかに天におられる父なる神さまです。つまりどういうことか。「人の子のような方が天の雲とともに来られた」というのは、天からの視点なのです。この前後の文脈を見ると、そこには「人の子のような方」が地上で苦しみを受けるということが書いてあるのですが、その苦しみの後、「人の子のような方」は雲とともに天に上げられ、「年を経た方」、父なる神さまのもとに来られる、とある。そして14節「この方に、主権と栄誉と国が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはみな、この方に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない」。父なる神さまのもとに来られた「人の子のような方」、神の国の王として、この世界を治めることになるのです。

ここまで来ると皆さんもうお察しだと思います。このダニエル書の預言はいつどのように成就したか。イエスさまの復活と昇天によってです。マルコの福音書の一番最後、1619節を見ましょう(新105)。こう書いてあります。「主イエスは彼らに語った後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」。十字架の上で悪の支配に勝利し、神の国をもたらしたイエスさまは、復活された後、天に上げられ、父なる神さまのもとに「来られた」。そして神の右の座に着き、この世界の支配者、真の王となられたのです。有名なマタイ福音書の大宣教命令と呼ばれるところでも、イエスさまは「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています」と言われました。復活して天に上げられたイエスさまは今、天の王座からこの世界を、教会を治め、守り導いておられる。ダニエル書の預言はイエス・キリストによって成就したのです。

 

キリストの出来事の大きさ

最後に、もう一度マルコの13章に戻りましょう。今日の箇所はとても複雑なところで、情報量がかなり多くなりました。私自身も含めて、なかなか理解が追いつかない箇所です。疑問がある方はぜひ私にお話しください。ともに聖書を調べ、ともに考え、御言葉の奥深い世界を味わっていきましょう。

ただその中でも私たちが今日この時、大切なポイントとして心に刻みたいのは、イエスさまの十字架と復活は、この世界の歴史の一大転換点だったということです。イエスさまの十字架と復活は、この世界を、いや、2425節にあるように、この宇宙全体を揺るがすとてつもなく大きな出来事だった!創世記3章、アダムとエバが神さまに逆らって以来、この世界を支配していた悪の力が打ち破られ、神さまのご支配が、神の国がもたらされた。だからこそ教会は、紀元前、紀元後と、イエス・キリストを境に歴史を分けて理解するようになったのです。この世界はイエスさまによって決定的に変わった!新しい時代がやって来た!イエス・キリストの出来事の大きさを、私たちは改めて心に刻みたいと思います。

そしてもう一つ、最後に目を留めたいのは27節です。「そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから地の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます」。今、私たちはこの27節の成就を経験しています。天で神の右の座に着いておられるイエスさまは、神の国の王として、ご自分の民を世界中から集めておられる。その成就として今、私たちはここにいます。私たちは自分の力でイエスさまを見出したのではありません。神さまによって選ばれ、イエスさまのもとに集められたのです。それを目に見える形で現しているのが教会であり、毎週日曜日のこの礼拝です。礼拝はいつも招きのことばから始まります。私たちはイエスさまによって招かれてこの礼拝の場にいる。神さまから遠いところにいた私たちが、神さまに名前を呼ばれ、大牧者なるイエス・キリストの群れに加えられた。そして集められた私たちは、イエスさまが復活されたことをおぼえるこの日曜日、天で神の右の座におられるイエス・キリストを仰ぎ見ながら、賛美をささげ、祈り、御言葉に聴き、やがてイエスさまが再びこの地上に来て、悪の力を完全に滅ぼし、神の国を完成させるその日を待ち望んでいくのです。イエス・キリストによってもたらされた新しい時代にあって、その完成を祈り求める。それが、「すでに」と「いまだ」の間に置かれている私たち教会の歩みです。

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