ヨハネ1:5「闇は光に打ち勝たなかった」

 改めて、クリスマスおめでとうございます。このイブの日に、みなさんとともに集まり、クリスマスをお祝いできることをとてもうれしく思っています。

冒頭でお読みした聖書箇所をもう一度お読みします。プログラムの裏面にも載せていますので、ご覧ください。新約聖書ヨハネの福音書15節「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」。この世界には光と闇が存在している、聖書は一貫してそう教えています。ただし、それは何も聖書に限らず、私たち誰もが感じていることだと思います。この世界には一方で、私たちを照らし、私たちの心を暖め、将来の希望を与える「光」があります。しかしもう一方で、この世界には私たちの心を暗くし、希望を奪い、絶望に陥れる「闇」がある。私たちは光と闇のせめぎあいの中で、この世界を日々生きています。

しかし、聖書はこう言います。「闇はこれ(つまり光)に打ち勝たなかった」。常にせめぎあっているように見える光と闇。しかしその二つは決して対等ではないと言うのです。光の力は、闇の力を遙かに上回っている。しかも「打ち勝たなかった」とあるように、その勝利はすでに過去において、決定的なものとなっているのです。

けれども、これはよく考えてみれば当たり前のことです。どういうことか。この部屋の場合を考えてみましょう。この時間ですと、この部屋は本来真っ暗なはずです。しかし、このキャンドルに火を灯すことによって、闇の中に光が生まれてきます。そして光が強くなればなるほど、闇は自然と消え去っていきます。光はそこに存在しているだけで、闇を照らすことができる。しかし逆はどうでしょうか。今灯っているこの光が、見えない闇の力によって消されるということは現実に起こり得ません。光が闇を侵食することはあっても、闇が光を侵食するということはあり得ないわけです。「闇は光に打ち勝たなかった」という以前に、闇は決して光に打ち勝つことはできないのです。

しかしそこで問われるのは、私たちは本物の光をもっているのかということです。世の中には光り輝く魅力的なものがたくさんあります。お金、権力、異性関係、他にも様々あるでしょう。たしかにそういったものは私たちに光をもたらすかもしれません。闇の現実を忘れさせてくれるかもしれない。けれども、その光は果たして本物でしょうか。このキャンドルの火のように、時間が経てばいつか消えて無くなってしまう。気がついたらまた闇に逆戻りしている。そのような偽りの光ではないでしょうか。

では、消えることのない真の光とは何か。聖書はこう語っています。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光をもちます」。この「わたし」とは誰でしょうか。イエス・キリストです。イエス・キリストに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光をもつ。イエス・キリストこそが、消えることのない真の光であると聖書ははっきりと語っています。

では、真の光をもって生きるとはどういうことでしょうか。まず一つ目は、その光を通してこの世界、そして自分自身を見つめ直していくということです。それは具体的には、イエス・キリストなる神さまのことばが記されているこの聖書の世界観に立って、この世界と自分自身を見ていくということです。神さまは今のこの世界の現状をどう見ておられるのか。神さまに創られた私の本来の姿とはどのようなものか。聖書の光を通してこの世界と自分自身を見るとき、私たちはこの世界のあるべき姿、自分自身のあるべき姿が分かるようになります。

そしてそこから二つ目、真の光をもって生きるとは、その光に従っていくということです。聖書の詩篇という書にはこのようなことばがあります。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です119:105)」。「あなたのみことば」、つまり神さまのことばとは、この聖書のことです。聖書は、私たちにどのように生きるべきかを教えます。私たちの進むべき道を照らしてくれる。その聖書の光に従って生きるならば、私たちは決して闇の中を歩むことがないのです。

そして三つ目、真の光をもって生きるとは、その光に希望をもって生きるということです。聖書の一番最後にある黙示録という書には、この世界の終わりの日、完成の日のことが書いてありますが、その最後の章では、将来訪れる完成されたこの世界のことをこのように説明します。「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない(黙示録22:5)」。今私たちがもっている光は小さいものかもしれません。この世界の大部分は未だ闇に包まれているように思える。今年は特にそのようなこの世界の闇を思い知らされた1年だったのではないでしょうか。しかし、その闇がいつか完全に消え去る時が来ると聖書は約束しています。2000年前、この地上に誕生したイエス・キリストの光は、いつか必ずこの世界全体を覆うようになります。神さまご自身がこの世界全体を光で包んでくださる日が必ずやってくるのです。それは単なる約束ではありません。「闇は光に打ち勝たなかった」とあるように、勝負はすでについているからです。イエス・キリストという真の光をもつ時、私たちはこの確かな希望をもってこの世界を生きることができるようになります。

イエス・キリストの誕生を祝うこのクリスマスの時、私たちはこのキャンドルの光を見つめながら、やがて消えてしまう光ではなく、決して消えることのない、イエス・キリストの真の光に目を留めていきたいと願います。「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」。

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