マルコ12:35-37「私の主」

 

「キリストはダビデの子である」。これはユダヤ人にとって常識でした。その大元には旧約聖書の預言があります。今は開きませんが、サムエル記第二7章には、ダビデの身から出る世継ぎの子によって神の王国が堅く立つという神さまの約束が記されています。またクリスマスの時期によく読まれるイザヤ書11章にはダビデの父であるエッサイの名前が出てきまして、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て身を結ぶ」と、エッサイの子であるダビデの子孫から救い主、メシアが生まれるという希望の預言が記されています。そして新約聖書はその預言の通り、イエスさまがダビデの子孫としてこの地上に生まれてきてくださったということを宣言しています。有名なところで言いますと、新約聖書のはじめ、マタイの福音書1章にはダビデからイエスさまに続く系図か記録されていますし、イエスさまがダビデの町ベツレヘムで生まれたということも、イエスさまがダビデの子孫であることを証ししています。

 

キリストはダビデの子?

しかし、ある一つの問題がありました。マタイの系図などを見ても分かるように、ダビデの家系に属していたのはイエスさまの父親であるヨセフでした。けれども、イエスさまは聖霊によってマリアの胎に宿ったと聖書は語っていますので、イエスさまと父ヨセフの血は繋がっていないことになります。おそらく、その事実はイエスさまの周りで噂として広がっていたのだと思います。実際、マルコの福音書6章を見ると、イエスさまはナザレの人々から「マリアの子」と呼ばれています。「〜の子」と言うときには父親の名前を出すのが当時は普通でしたので、イエスさまはマリアの私生児であるという噂が広まっていたということが考えられます。それに加え、イエスさまはナザレ生まれのナザレ人として知られていました。ダビデとは特に何の関係もない田舎町です。そういった理由から、ナザレ人で私生児のイエスという男がダビデの子キリストである訳がないじゃないかという批判がユダヤ人たちの中で存在していたと想像できます。35節の「どうして律法学者たちは、キリストをダビデの子と言うのですか」というイエスさまの問いかけもそのような背景から出てきたのでしょう。

イエスはダビデの子ではないからキリストではない。その批判に対して、イエスさまは詩篇のことばを引用して反論します。36節「ダビデ自身が、聖霊によって、こう言っています。『主は私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」』」これはダビデの詩篇とされている詩篇100篇からの引用ですが、大事なのは「主は私の主に言われた」という部分です。日本語では「主」という同じことばが2回使われていますが、詩篇が元々書かれたヘブル語では、この二つの「主」は違うことばです。はじめの「主」は神さまのお名前です。旧約聖書で太字になっていることばです。それに対して二つ目の「主」は「主人」という意味のことばです。ですからそれを踏まえて訳すと、「神は私の主人に言われた」となります。神が私の主人、つまりキリストに言われた。ここで詩人のダビデはキリストのことを「私の子」、「私の子孫」ではなく、「私の主人」、「私の主」と呼んでいる。ならばキリストを「ダビデの子」と呼ぶのはおかしいではないか。むしろキリストは「ダビデの主」、もしくは「神の子」と呼ばれるべきではないか。ここでイエスさまが言いたいのはそういうことです。そして実際、この後マルコの福音書では「ダビデの子」という表現は出てこなくなります。また新約聖書全体を見ても、「ダビデの子孫」ということは何度か出てきますが、「ダビデの子」という表現が出てくるのはマタイ、マルコ、ルカだけです。むしろイエスさまは「神の子」と呼ばれるようになり、そちらの方が一般的に用いられるようになりました。

 

救い主の判定基準

ではイエスさまを「ダビデの子」と呼ぶのは間違いなのか。そこまでは言えないと思います。実際に冒頭でも申し上げましたように、新約聖書は明らかにイエスさまをダビデの子孫として描いています。そう考えると、ここでイエスさまが問題にされているのは「ダビデの子」という表現そのものではなく、キリストはダビデの子であると主張していた律法学者たちの姿勢であるということが分かります。どういうことか。「キリストはダビデの子であるはず。だからお前はキリストではない」。律法学者たちにとって、「キリストはダビデの子である」というのはキリストの判定基準でした。その基準を満たしているかどうかで、その人物をキリストと認めるかどうかが変わってくる。けれども判定基準をもっているということは、彼らの方が上にいるということです。キリストが彼らの主、主人なのではなく、彼らがキリストの主人になっている。あの偉大なダビデ王でさえ、来るべきキリストを「私の主」と呼び、キリストの前にひれ伏した。けれどもあなたたちの内にはキリストを「主」とあがめる信仰の姿勢が全くないじゃないか。

キリスト、救い主の判定基準をもつ。これは今の時代の私たちにも当てはまることです。救い主はこういうお方であるべき!どんな自分でも愛してくれて、お願いを何でも聴いてくれて、とことん自分を肯定してくれて、信じていれば残りの人生辛いことは何もない。色々な判定基準をもって様々な救い主「候補」を比較していく。比較した上で、基準を満たす存在が現れて、自分が納得できたら合格印を押し、そのお方を自分の救い主として受け入れる。しかし受け入れた後も、一度基準を下回ることがあれば、納得できないことが出てくれば、やはり違ったと他の救い主を探しにいく。結局、主人は自分です。そこに「従う」ということは起こってきません。自分こそが自分の主で、そんな自分を助けてくれる救い主を探し、判定し、ジャッジしていく。

もちろん、はじめは誰しもがそうかもしれません。第一世代のクリスチャンであればなおさらそうでしょう。救い主を求めるというのはそういうことだからです。しかし、そのままではいつまで経っても主なるキリストに従うということは起こってきません。ダビデのようにキリストを「私の主」とあがめ、キリストの前にひれ伏すということは起こってきません。自分の心の王座をいつまで経っても明け渡そうとしない。都合が悪くなればすぐにキリストのもとを去っていく。そこに真の信仰はありません。

 

キリストと出会う

真の信仰はどこから生まれてくるのでしょうか。真の信仰は、私たちの期待から生まれてくるのではありません。私たちの頭、理性から生まれてくるのでもありません。真の信仰は、キリストとの出会いから生まれます。そこで思い起こされるのは、復活のキリストとトマスの出会いです。みなさんご存知でしょう。復活したイエスさまが弟子たちの前に現れたとき、そこにいなかったトマス。それを後から聞いて、「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言い放つ。しかし八日後、イエスさまはトマスの前にも現れ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と語りかけた。するとトマスはなんと答えたか。「私の主、私の神よ」。復活のキリストを前に真の信仰を告白したのです。釘の跡と脇腹に手を入れてから告白したのではありません。キリストと出会った瞬間、告白せざるを得なかった。キリストと出会うというのはそういうことです。他の弟子たちもそうでした。イエスさまに会って、ちょっと考えさせてくださいと時間をもらい、数日間考えてから「ついていきます」と返事をしたのではなかった。キリストに出会い、「わたしについてきなさい」と声をかけられ、すぐに従っていった。このお方こそ私の主だ!ことばでは説明できない奇跡がそこで起こったのです。それがキリストに出会うということ。主に従う真の信仰はその出会いから始まるのです。

私たちはなぜイエス・キリストを信じているのか。今日改めて自分自身に問い直しましょう。自分はどのようにしてキリストに出会ったか。あるいは本当に出会っているだろうか。自分の中で救い主の判定基準をもっていないだろうか。キリストを「私の主、私の神」と告白し、キリストの前にひれ伏す真の信仰は自分の中にあるだろうか。イエス・キリストは私たちとの出会いを待っておられます。

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