マルコ6:1-13「信じなければ見えないもの」

 

今日の箇所で描かれているのは、イエスさまの里帰りの様子です。みなさんは里帰りはお好きでしょうか。私は小さい頃から引っ越しが多かったので、故郷はどこですかと聞かれると少し困ることもありますが、一つ挙げられるのは母教会がある岡山県の西大寺というところです。小学校2年生の時からずっとお世話になっているので、みなさん私のことを小さい頃からよく知ってくださっています。昨年教団の補教師に任命されてからは、大体どこの教会に行っても「齋藤先生」と呼ばれるようになりましたが、おそらく西大寺に方々にとって、私は今も小さい頃から変わらない「けんちゃん」のままだと思うのです。私はそれがうれしいのですけれども、もし自分が西大寺に伝道師として遣わされていたら、色々と違う苦労があっただろうなと思います。むしろ教会の方々の方が苦労するかもしれません。私のことを小さい頃からよく知っている分、どうしても伝道師としてではなく、一人の青年として見てしまう。もちろん母教会に遣わされるということの祝福はたくさんあると思いますが、おそらくそういった苦労はどうしても出てくると思うのです。

 

イエスさまの里帰り

今日の箇所のイエスさまに起こっているのはそれと似たようなことだと言えるかもしれません。ただイエスさまはプライベートの休暇で里帰りをしたということではないようです。1節には「弟子たちもついて行った」とありますから、イエスさまは福音宣教の使命をご自分の故郷でも果たすためにナザレに帰ってきました。そして安息日になると会堂に行って、神の国の福音を語り始めたというのが今日の箇所の内容です。

するとナザレの人々はどのように反応したか。2節の途中からお読みします。「それを聞いた多くの人々は驚いて言った。『この人は、こういうことをどこから得たのだろう。この人に与えられた知恵や、その手で行われるこのような力あるわざは、いったい何なのだろう』」。悪くはない反応です。人々はイエスさまの教えを聴いてとにかく驚いた。イエスさまの内には普通の人にはない、ただならぬ知恵と力があるということがすぐに分かったのです。しかし問題はその先です。3節「『この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。』こうして彼らはイエスにつまずいた」。「この人は大工ではないか」という彼らの反応。これは日本語だと分かりませんが、元のギリシャ語を見ると、英語の “the” にあたる定冠詞がついています。「この人は “あの” 大工ではないか」という意味ですね。人々は大工としてのイエスさまを元々知っていたということです。当時の大工は家を作るだけではなく、家財道具を作ったり農具を作ったりと、あらゆる仕事を請け負っていたようです。イエスさまはナザレにいた頃、父親のヨセフの後を継いで、そういった町の大工仕事をたくさん請け負っていたのだと思います。ですからナザレの人々は会堂で話しているイエスさまを見てこう思ったわけです。「あそこで話しているのはこれまで何度も仕事をお願いしてきたあの大工じゃないか。ただの大工がこんな知恵をもっていて、奇跡も行えるなんて一体どういうことだ」。人々はイエスさまを救い主としてではなく、ただの不思議な大工職人としてしか見ることができなかったのです。

そして人々は続けてイエスさまのことを「マリアの子」と呼びます。この時代、「〜の子」という時には父親の名前を出すのが一般的でした。ですから普通であれば、人々はイエスさまのことを「ヨセフの子」と呼んだはずです。たとえヨセフがすでに亡くなっていたとしてもです。けれども人々はそこをあえて「マリアの子」と呼んだ。もしかしたらナザレの町では、イエスさまは聖霊によってではなく、父親のいない私生児として生まれたという話が広まっていたのかもしれません。そう考えると、この「マリアの子」という呼び方には、イエスさまへの侮辱の意味も込められていた可能性があります。

いずれにせよ、その後イエスさまの兄弟の名前や姉妹の存在についても触れられていますが、ナザレの町の人々はイエスさまの人となりをよく知っていました。私たちの何倍も何十倍もよく知っていたことでしょう。けれども、その知識が彼らの目を曇らせてしまっていました。人々はイエスさまを自分たちと同じただの一人の人間としてしか見ることができなかったのです。目の前でイエスさまのみことばを聴いても、様々な力あるわざを見ても、それが神のことばであること、それが神のみわざであることが分からなかったのです。

 

人々の不信仰

そのような人々の反応を見て、イエスさまは言われました。4節「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」。他のところでは人々から敬われる預言者も、自分の郷里、親族、家族の元に帰ると、ただの一人の人間としてしか見られない。イエスさまはご自身の故郷ナザレでも信じて救われる人が起こされるように願い、里帰りをしたのに、結果そこではほとんど実りを得ることができなかった。イエスさまが驚かれるほどの「不信仰」しかそこにはなかったのです。

5節にはこのようにあります。「それで、何人かの病人に手を置いて癒されたほかは、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった」。「え、イエスさまなのに行うことが『できなかった』の?」と思われるかもしれませんが、そこで思い出したいのは先週お話しした、「信仰とは何か」ということです。先週は長血の女性とヤイロの話から、信仰とは「神さまの救いの力を受け取る器」であると申し上げました。イエスさまはご自身の救いの力を受け取って欲しくて、人々からの信仰を期待して故郷のナザレに帰ったはずです。けれども人々はその救いの力を受け取ろうとはしませんでした。信仰という器を差し出さず、むしろイエスさまの救いの力を拒絶しました。そのような人々の不信仰ゆえに、イエスさまはそれ以上神の子としてのみわざを現そうとなさらなかったのです。

 

信仰をもって見る

この箇所は私たちに教えようとしていること、それは信仰をもってイエスさまを仰ぎ見ることの大切さです。そもそも信仰がなければ、イエスさまのこの地上での歩みはつまずきに満ちています。まずは聖霊によるみごもり(処女懐胎)。この奇跡は歴史の中でも多くの人をつまずかせてきました。飼い葉桶に象徴される貧しさの中での誕生、普通の大工としての生活。そのようなお方が神の子キリストであると誰が信じられるでしょうか。そして極め付けは十字架です。当時口にするのも恐れられた残虐な死刑をもってローマ軍に殺された一人の男を神として崇める、普通に考えてこれほど愚かなことはありません。しかしパウロはこう語ります。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です」(Ⅰコリ1:18)。一見つまずきに満ちているように思えるイエスさまのこの地上での歩み。しかし信仰をもって見るとき、私たちはそこに神さまの救いの力があることを知ります。信じなければ見えないもの、分からないことがそこにはあるのです。

信仰をもってイエスさまを仰ぎ見ていく。これは私たちの生活にも深く関わることです。最近あまりみことばが響いてこない。あまりイエスさまを感じられない。「最近霊的な調子が悪いんだよね」という言葉を聞くこともあります。たしかに信仰者であっても、いや、信仰者であればこそ、そのように感じることはあるでしょう。私自身もあります。一生懸命聖書や神学を勉強しているのに、なんだか心に入ってこない。イエスさまに関する知識は入ってくるのに、イエスさまを遠く感じる。たしかにあります。

けれども、それを「調子」の問題として片付けてしまうのはやはり問題があるように思います。そのような時、私たちはそれを「信仰」の問題として考えたいのです。自分は果たして信仰をもってみことばに聴いているだろうか。信仰をもって日々の生活を歩んでいるだろうか。ただなんとなく教会に来て、聖書を読んで、賛美をして、祈っているのではないか。そこに信仰はあるだろうか。そのようにして、自分の信仰のあり方を見つめ直す機会としていきたいのです。

そして、そこで自分の信仰の足らなさを責めるのではなく、イエスさまがトマスに語られたことば、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27)、このイエスさまのことばに励まされつつ、信仰をもって日々の歩みの中でイエスさまを仰ぎ見ていきたいと願います。信仰がなければ見えないものがある、それは裏を返せば、信仰をもって歩む時に見えてくる大きな祝福があるということです。信仰をもって歩む時、私たちはともにおられる神の子キリストを見ることができる。日々の生活の中にあふれる神さまの救いの力を見ることができる。そのような主の祝福と恵みあふれる信仰の旅路を今週1週間もともに送っていきたいと願います。

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